今週のお題「大人になったなと感じるとき」
大人になるというテーマで今日も書いてみたい。
というのも、大人というのはこんなにも悲しきことかな・・・と思ったからだ。
人生を過ごして33回目の正月を迎えた。
周りから見たらすっかり大人に見えるだろう、ボクの姿は。
学生時代のような青春時代をまた過ごしたいなぁと思いながら今日もアニメを見て、やりたいことをやって・・・という毎日を過ごしている。
最近、ハマっているものがある。それが文章を書くことだ。
友達から自分の書いた文章にお褒めの言葉をもらってから、文章を書くということがちょっぴり好きになった。
やる気がある状態と言ってもいいのだろう。文章教室に通い始め、友達にLINEする時は面白く文章を工夫し、ツイッターのツイートですら面白い内容か気を配る。
そして、普段は「面倒くさい」が口癖でものぐさなボクがこのブログを書いているのも、やる気のあるんだなぁと自分でも納得する。
そんな中、悲しい出来事があった。
まだ文章に興味がなかった数年前、文章好きの女の子を知り合った。
彼女はライターとして文章が好きで好きでたまらないと言っていたことを記憶している。
文章教室に通い始めたボクは久しぶりに彼女に連絡してみた。
最近はどんな風に文章を書いているのだろうか?と。
返ってきた内容はこうだった。
「転職したばかりで毎日余裕がないというか、他のことに手をつける時間が全くないのでー」
なんだか、悲しくなった。
それは彼女に対してではなく、労働というか日本社会にというか。この世の中に対してだ。
労働って何?人の好きなことをやる気すらも奪ってしまうものなのか。
もちろん、彼女が仕事のことで文章を書かなくなった訳ではないと思うが・・・。
文章教室に通ってみたり、その風景の写真を見て、思ったことがある。
それは・・・若い人が全然いないということである。
通っている60代のおじさんはこんな事を言っていた。
「ボクも君みたいな歳から始めれたらなぁ。60歳から書き始めたからなぁ」
講師の先生はこんな事を言っていた。
「君はまだ30代。文章を書ける時間は果てしなくあるわよ」
この2つの言葉は嬉しいと共に悲しい言葉だった。
ボクの周りには文章を書く若者がなぜいないんだと思った。
労働?仕事?そのために生きているのだろうか?生活するお金?
なんだなんだか、文字にできない感情が湧いてくる。
労働に心を奪われて、やる気を失うってこういうことなのだろうか。
若さ、、、仕事に時間を奪われて、やりたい・学びたいとなった時はもう老人か。
はあーはあーおいおいおい、オレはもう悲しいよ。
もちろん、働かずに自分の好きなことだけをやって気づいた頃には貯金なしで好きなことをできないっていうのも何なんそれ?って感じだがね。
本物のやる気を持っていきたい。
やらないといけない仕事はある。でも、それ以上にもっとやる気があるものがある。
好きだ好きだと好きならば睡眠時間すら削ってでもやれると思う。
そうならないのは本物のやる気がないだけだろう。